仙台暮らし

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謝罪とは人の気持ちに寄り添うことである

以前こんなことがあった。

 

職場の同僚で飲み会をした。

飲み会はそこそこ盛り上がり、二次会の流れになった。

その時、二次会は私の家でやろう、という話が出た。

移動した。

同居人が怒ったので、私の家で二次会を行うことはできなくなった。

後日、二次会の言いだしっぺ(私の家でやろう、と言い出した人)から謝罪のメールが届いた。

 

という話である。

「いきなり家に行ったら怒るよ」とか、今回の焦点はそこではないのでご容赦いただきたい。

 

謝罪の内容としては、寸分たがわず隙の無い文面であった。

自分の非礼を詫び、同居人に対しても謝罪の言葉をつづる。

 

なるほど。文面を読んで私は納得した。気にしないよう、返信をした。

 

けど私は、

「こいつ謝ればいいと思ってないか?」

と思っていた。

 

なぜそのようなことが起こるのかを考えてみた。

 

発端として、そもそも私は怒っていなかったのである。

もちろん謝罪など求めていないし、それどころかこちらが申し訳ないな、とさえ思っていた。

こちらの感情にそぐわず、相手は一方的に謝罪のメールを送り付けてきた。

その一方さ、独善さに、少し疑問を感じたのである。

 

「あの後大丈夫だった?」

みたいなやり取りがあればよかったと思う。

「今度から気を付けるよ。同居人にも謝っておいてね」

みたいな。

 

そういう過程をすっ飛ばして、長文の謝罪メールが送られてきた。

つまり、「お前の事情や都合なんて知ったこっちゃねーけど、とりあえず俺は謝罪をしたというポーズは取るし、内容的には完璧なんだから不満はねーだろ?」と、相手の感情をうがってしまう。

 

そこで、上手な謝罪というのを考えてみた。

上手な謝罪というのは、相手の感情に寄り添うことである。

一方的に、完璧な謝罪文をつきつけるのは謝罪ではない。

相手のいかりの程度に合わせ、状況に合わせ、怒り方に合わせて。

その都度、自分の謝罪の気持ちを、適した形で伝えていく。

それが謝罪なのではないだろうか。

 

社会人になり、いろんな事情が込み入って、あらぬ人の怒りを買うこともあるだろう。

そんな時は一方的に謝罪をつきつけるのではなく(そもそも、謝罪ができるという時点で、一歩リードしてるともいえる)、相手に合わせた謝罪ができればベストなのではないだろうか。

社会人になり、学生時代の「個」で活躍するステージではなくなる。

つねに相手が存在し、相手の納得、合意、理解、の上で物事を進めていく。

もちろん「期待される」という行為も、その中に含まれる。

 別記事にした。

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